超世界転生エグゾドライブ深海考察

カクヨム産小説「超世界転生エグゾドライブ」について思いつく限りいろいろ書いていくやつ。

エグゾドライブとは

異世界転生エグゾドライブ!

それは『人生』を賭けた熱き戦いであるーーー

 

エグゾドライブ。

それはこの作品のタイトルそのものであり、同時に作品内で普及している「娯楽」の名前である。

ホビーアニメとしての「遊戯王(DM以降)」や「カードファイト!ヴァンガード」、「バトルスピリッツ」などをイメージしてもらえるとわかりやすいのではないでしょうか。

作品内の特定の「娯楽」にかかわる少年少女の熱き物語、友情、恋愛、家族愛、絶望、希望……「え、おもちゃでなんでそんなことが起きるの?」と言わんばかりの壮大なストーリーが発生することも多いこのジャンル、人生というか人命を賭けることも多いが、この作品においては『人生』を賭けるのは文字通りの意味になります。

 

あらためて、作品内の娯楽としての「エグゾドライブ」について。

端的にいうと、「娯楽化され競技化された異世界転生」です。

……うーん何言ってるかわかんねー。分解して説明します。

 

まずは一般的な、小説等の題材にされる視点からみた「異世界転生」について。

自分の今生きている場所以外から何かしらの理由で異世界に転移し何かしらの目的に沿って活動し、活躍する作品の題材のこと。

最近でこそネット小説から「現代日本から中世ヨーロッパ風世界に転移し元々の知識で活躍するもの」とも言えるが、そこまで尖っていなくても、異世界には何かしらの解決点がありそれを(時には結果的に)解決する流れは昔からあると思われる。自分の幼少期の記憶にもある「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」とかも該当する。ジャンルの幅も増え、解決自体が目的ではない場合も多くなってきたが、結果的に解決していること、またそれにより評価が徐々に(あるいはすさまじい速度で)あがっていくことは概ね変わらないのではないだろうか。

 

一方でこの作品内における「異世界転生」について。

まずこの作品内世界から観測された異世界は全て滅びの危機に瀕している。それも一つ二つではなく無数の異世界が。

純粋な外敵、上位者による暴力、資源の枯渇、ディストピア化……形はいろいろとあるがそれらは間違いなくその異世界をやせ細らせる原因であり、そして観測された異世界は全てそれらを内包していた。なぜかは判明していない。作品内世界がたまたま非常に幸運なのか、何かしら条件があるのか?わかっているのは異世界に干渉し必要に応じて滅びの危機を解決して何かしらの利益を得ることができる、未曽有の可能性の存在である。

かくして異世界への干渉手段としての転生が開発された。

 

  • 娯楽化とは

さて、滅びかけた異世界に利益の厳選があることは確か。ではどのような形でそれを受けるか。

作品内世界が出した結論こそが娯楽化となる。

異世界からの帰還はできるが物を持ち帰ることはできない。

向こうからの干渉はできないため上記も含めて政治的関係性は利益としづらい。

前提条件から想定される利益はあまりに現実としづらかった。しかし異世界というロマンを手放すにはあまりに惜しい。

娯楽は利益を生み出す。その娯楽が一般的、熱狂的であればあるほど関連する事業をもとに金という名の国の血液は循環し、市場は活性化する。これは実際のスポーツやアイドルを見ても事実といえる。

そして娯楽として一般的に普及することで数多くの人々が異世界転生を行うことができ、行うモチベーションを持ち、数多の異世界を救い、その様がさらに多くの人を異世界転生へと導く。通常対応しきれない無数の滅亡への回答ともなっている。

異世界転生の娯楽化は、観測された異世界に対する対応として非常に有用な手段として確立されたと考えらる。

 

  • 競技化とは

この場合異世界転生は「その世界を滅亡から救う」という明確な目的がある。つまり、「その世界を自由に生きて楽しむ」といったような行動を主目的にならないようにしなければならない。それも娯楽性も維持しつつ。

そのための手法は何か。ルールを定め、勝敗を決める競技とすることである。多くのスポーツがそうであるようにルールをもとに勝敗を決することは娯楽となる。本来の目的をそのルールに組み込めばその両立は容易だろう。

 

 

まとめると、作品内世界としてはある意味必然として異世界転生は娯楽化、競技化された。その異世界転生の目的は常にその異世界の問題の解決であり、その内容はメタ視点で見た時の題材的異世界転生と一致する。

つまり題材的異世界転生の「あるある」を作品内競技に世界観と融和させた形で持ち込める、驚くべき設定といえる。